2011・3・11岩手
4年前・・・岩手県花巻から北上市についた。翌朝は近くの商業施設の
会議室での仕事、地元の工業高校生70人とともに。夕べの地震があり
なんだか気持ち悪いな。そういえばその日の朝、晴天なのに雪がぱらついていた。
岩手の学生は純朴ですれてなく素直で可愛い、休憩時間昼食をとりながら
同行していた方々とそんな話をしながらいつものように午後のセッションになり順調に今日も終わるはずだった・・・・・
14:46・・・・その揺れは突然でしたがゆっくりと、めまいがするような感じで
同時に警報がなる。学生は冷静でした。こんな時は机の下に、なんて考える余裕もなく、当日はリーダーのMさんの号令で全員避難。こんなときに非常口が開かない?
店内をあるいて2Fから僕らは表に出た。店内の悲惨な情景でいかにこの地震が大きかったかが解る。生存確認をして主催者に確認、生徒を先生に引き渡し解散。とまあ、スムーズにすすんでいるようだが、心は定かではない。はっと我に返り、家族と連絡も繋がらない。「無事」というメールだけ送る。
同行者4名でとりあえず徒歩で20分くらい駅前のホテルに戻る事にした。商店街は大変な状況でしたがその時点では大きな地震が有ったんだなとうい程度でした。通りすがりのおばあちゃんが「大きな地震だね、津波は大丈夫かね・・・・」へ?津波
とりあえずホテルのロビーに到着し暖をとることにした。JRは止まり駅の電気も消えていた。気がついたら16時が回っていた。強い地震が15分ごとにくる。その度にロビーからそとに避難した。駅の売店も公衆電話もどこも人で溢れている。これは普通じゃないな。駅に駅員が見当たらない。なんのアナウンスもない。バスは動いているが信号が止まったまま。どうやら停電らしい。
ロビーではろうそくと毛布、そして紅茶が。そんな中誰かがパソコンの映像をみて驚く、そこにはその後テレビでなんどもみた光景が「津波だ」街が飲み込まれている。とっさに「ここはだいじょうぶ?」と。地元のHさんが笑いながら「ここは山があるから波はきませんよ」やや安心した。
いろいろあり、Hさんは自己判断で友人宅へ泊まることに。僕らは交渉して荷物がまだあずけてあることをいいことにホテルに宿泊できることになった。ホテルは電気も水道もなく毛布のみそれでもありがたい。非常階段を5Fまで懐中電灯を照らしながら上る。(いまも感謝してます。ホテルメッツさんありがとう)
ようやくベッドで大の字に寝るが、また余震だ。かなりゆれている。こりゃ当分うごけないな。長期戦だ。しかし本部との連絡もつかずなんだか予定通り明日の会場案内がきた。「いけるわけねえだろ?」石巻はどうなっているんだろな?
しばらくはいれないかもしれないから風呂は入りたいなあ・・・お湯が出た!タンクに残っていたようだ。大事に入りました!その間も絶え間なく大きな揺れが。しかしまっぱだ、今は避難できんな・・・・あとで皆さんにあきれられましたがなぜか緊急時に不思議な行動に出るんです。
小腹がすいたけれど、何もなく1Fへ無人の売店がありましたので久々にビールが呑みたい。せんべいと菓子パン・ビールを買い(いただき)翌朝1000円払いました。部屋でしばしくつろぐ。ようやく携帯が繋がった。みんな無事でした。既に12時を回る。都内も凄まじい状況を知った。
間もなく電源は切れつかの間の安心でその日は寝た。明日はまた明日考えよう・・・・・翌朝から僕らのつかのまの避難生活が始まった。
あれから4年早いなあ・・・あのときの不安、すぐ近くでの津波の恐怖、今も忘れられない。そして未だ生活がもとにもどれない方々がいるという事実。忘れては行けないと思う。
ふとARBの石橋凌が歌う「After'45」が聴こえて来た。